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福岡高等裁判所 昭和62年(行コ)16号 判決

控訴人 木下ハルエ

被控訴人 江迎労働基準監督署長

代理人 田邊哲夫 山田和武 ほか七名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和五五年一月一四日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償年金及び葬祭料の支給をしない旨の処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張の関係は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであり、証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

1  原判決四枚目裏五行目の「解すべきである。」の次に「仮に右の点について相当因果関係の存在を立証すべきであるとしても、本件においては、病理的に解明することまでを求めるべきではなく、また、その立証の程度を軽減すべきであつて、そうでなければ、控訴人に対し不可能な証明を強いることになるものである。」を加える。

2  同五枚目表九行目の「決することはできない。」を「決することはできず、」と改め、その次に「亡安次郎については肺機能障害がかなり進んでおり、同人の胸部エツクス線写真上も著明な肺気腫が認められていた。」を加える。

3  同五枚目裏八行目の「疑いがある。」を「疑いがあるし、」と改め、その次に「相当心負担があつたことは明らかである。」を加える。

4  同七枚目裏二行目の「脳血栓」を「脳塞栓」と改める。

5  同九枚目表一〇行目の「ためである。」の次に「亡安次郎は、僧帽弁膜症に罹患していなかつたものであるが、仮に罹患していたとしても、その原因は、じん肺と因果関係のある慢性関節リウマチに起因する蓋然性が最も高い。」を加える。

6  同一一枚目裏七行目の「あつたものである。」の次に「亡安次郎は、肺機能検査の結果等を総合すると、著しい肺機能障害があつたものではなく、肺機能障害があつたにとどまるものであつた。また、肺気腫についても、亡安次郎の胸部エツクス線写真上著明な肺気腫は認められないなど、同人に肺気腫が存在していた可能性は極めて低いし、仮に存在していたとしても、他の原因に起因する肺気腫であつた可能性がある。」を加える。

7  同一三枚目表四行目から同五行目までの「死亡であつた。」を「死亡であつたし、」と改め、その次に「死亡の前日の昭和五四年八月一七日には脳塞栓の典型的な症状である意識喪失、左片麻痺等の症状が著明にみられた。」を加える。

8  同一四枚目表一行目の「られる。」の次に「仮に右原因がリウマチ性心臓弁膜性ではなかつたとしても、僧帽弁膜症は、じん肺との因果関係の認められない先天性僧帽弁膜症、虚血性心疾患、細菌性心膜炎等の非リウマチ性疾患によつても、生じ得たものである。」を加える。

理由

一  亡安次郎が粉じん作業に従事していたこと、昭和四七年九月一日じん肺の健康管理区分四と認定されたこと、エツクス線写真の像はじん肺の第二型または第三型と診断されたこと、同人に心房細動がみられたこと、同人が、同五四年八月一八日に死亡したこと、控訴人が亡安次郎の妻であること及び請求原因第4項の事実(本件処分および審査請求等)は、いずれも当事者間に争いがない。そして、被控訴人の主張からみて、亡安次郎がじん肺に罹患していたこと自体は、その程度はともかくとして、明らかに争わないものと認められる。

二  そこで、亡安次郎の死亡が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて以下判断する。

労働者が疾病により死亡した場合において、その疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲については命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表第一の二が定められているので、じん肺に罹患したとされる亡安次郎の死因となつた疾病が右別表に掲げる疾病に該当するか否かについて検討するに、同表第五号は、「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症又はじん肺法(昭和三十五年法律第三十号)に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則(昭和三十五年労働省令第六号)第一条各号に掲げる疾病」について定めているが、控訴人が本件において亡安次郎の死因として主張しているのは肺炎または脳梗塞であり、右に該らないことが明らかである。したがつて、本件においては、右肺炎または脳梗塞が同表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。

そして、亡安次郎が粉じん作業に従事していたこと及び同人がじん肺に罹患していたことは右のとおりであり、したがつて、特段の反証のない本件においては、同人のじん肺は粉じん作業により生じたものと推認されるから、結局同人のじん肺ないしその法定合併症と同人の死因として控訴人の主張する肺炎または脳梗塞との間に相当因果関係が認められる限り、右死因となつた疾病は右別表第九号の規定する疾病に該当するものと解すべきである。

ところで、控訴人が前記遺族補償給付及び葬祭料を受けることができるためには、労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条、七五条二項等の解釈上、亡安次郎の従事した業務、同人の罹患したじん肺、同人の死亡の間に順次相当因果関係が存在することが必要であり(これが実務上業務起因性と呼ばれることもある。)、控訴人において、右の各相当因果関係を立証しなければならないと解するのが相当であり、右の点について合理的関連性が存在すれば足りるとする控訴人の主張は、独自の見解であつて、採用することができない。

右のように、本件においては、亡安次郎の罹患したじん肺と死亡との間の相当因果関係の存否が問題となるところ、右の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、罹患したじん肺と死亡の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、かつ、それで足りるものと解すべきであつて、控訴人に対し右因果関係を病理的に解明することまでを求めるものではない。したがつて、控訴人に右の点について立証責任を負担させることは不可能な証明を強いるものである旨の控訴人の主張もまた、独自の見解であつて、採用の限りではない。また、右立証の程度についても、事案の内容、要証事実の内容、当事者と証拠との距離、証拠の提出状況等の諸般の事実を考慮して、特段の事情がある場合には、訴訟当事者間の信義誠実の原則、公平の要請の見地から、必要に応じて立証の範囲、程度を軽減することも許されないではないと解されるが、本件においては、右特段の事情を窺うことができないから、立証の程度を軽減すべきである旨の控訴人の主張も、採用することができない。

以下、右の見地から、亡安次郎の死因及びその死因となつた疾病とじん肺との相当因果関係について検討することとするが、その前に亡安次郎の病状の推移及び同人のじん肺の程度をみておくこととする。

三  亡安次郎の病状の推移

<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  亡安次郎は、昭和二六年一一月に住友潜龍鉱業所を退職した後、同四四年四月江迎病院で受診し、慢性気管支炎との診断を受け、以後同病院で治療を受けるようになつたが、同四七年五月の喀痰検査でコロニー一三個が検出され、さらに胸部エツクス線写真において両側下肺野を主に全肺野にわたりじん肺の粒状影をみたため、じん肺結核と診断された。

2  亡安次郎は、そのころ、咳嗽、喀痰、呼吸困難が激しくなり、血沈亢進がみられたため、江迎病院に入院したが、その後症状が軽快し、同年一一月一六日に退院し、同五〇年九月まで通院加療を続けた。その間、昭和四七年九月一日には前記のとおりじん肺の健康管理区分四と認定され、同四八年ころには心電図上心房細動がみられ、不整脈があつた。しかし、昭和五〇年一〇月歩行障害、言語障害等が生じ、脳梗塞発作を起こして江迎病院に入院し、その後十二指腸潰瘍、胆のう症等を併発して入院加療を継続し、右各疾病が完治したため、同五一年五月一四日退院したが、その後、同五三年一月に至り心窩部に痛みを訴え、胃潰瘍と診断されて同月二五日から同年三月まで同病院に入院した。右脳梗塞発作以後、これによる言語障害、軽度の半身不随の後遺症が残り、また、その間、心電図上も心房細動、不整脈がみられた。

3  亡安次郎は、昭和五三年四月以降江迎病院において通院加療を続けていたが、この間も呼吸困難、胸痛を訴え、咳嗽、喀痰、心悸亢進がみられ、その病状に特段の進展はなかつたが、同五四年八月一六日午後一〇時ころ就寝した後、翌一七日早朝に至り控訴人が揺り起こしても返答がなく、意識喪失状態となつていた。

4  亡安次郎は、右同日午前五時ころ、意識喪失のまま救急車で江迎病院に入院したが、当時の病状は、意識はなく、瞳孔は縮瞳したものの、左片麻痺がみられ、顔色不良で、全身に発汗がみられ、右下肢にけいれんがあるなど極めて重篤であつた。午前六時には瞳孔は散大し、その後、けいれん、意識喪失、瞳孔散大、顔色不良等の病状が続いた。

血圧は入院直後最大血圧一七〇、最小血圧一一〇であり、その後も死亡直前まで、概ね最大血圧が一三〇ないし一七〇、最小血圧が八〇ないし九〇で推移し、脈拍は、入院直後から翌一八日の午前九時ころまでは五〇ないし九〇程度であつた。

しかし、体温は、右一七日午前七時三〇分の測定で三八・五度を記録して以来、一ないし三時間ごとの測定で、同日中、三八、三九度台の高熱を記録した(但し、同日午後三時の測定のみ三七・五度である。)。さらに翌一八日には、午前六時に四〇・二度を記録して以来死亡に至るまで、四〇度ないし四二度の高熱が続いた。

この間、江迎病院においては抗生物質、解熱剤等の投与などの処置が講じられたが、亡安次郎は、意識を回復しないまま、前記のとおり入院の翌日昭和五四年八月一八日午後一時四五分死亡した。当時年令は六三歳であつた。

四  亡安次郎のじん肺の程度

<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  じん肺は、粉じんの吸入によつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病であり、じん肺の研究が進むにつれ、線維増殖性変化のほかに気道の慢性炎症変化、気腫性変化を伴うものであることが明らかになつてきたところであるが、気道の慢性炎症変化、気腫性変化は粉じんの吸入以外の他の要因によつて生ずることも多く、またじん肺に特有な症状もないため、じん肺罹患の有無、程度は、粉じん作業歴、胸部エツクス線写真像、肺機能検査、胸部に関する臨床検査等を総合して判断されることになつている。このうち胸部エツクス線写真像は、じん肺と類似の症状を示す他の疾患と鑑別するのに有用であり、またじん肺の進行に伴つて粒状影等じん肺特有の陰影の分布、増加、変化の状況を知ることができるため、じん肺罹患の有無、程度を診断するにあたつて極めて重要であるとされている。

2  亡安次郎の粉じん作業職歴

亡安次郎は、大正四年一〇月一五日に出生し、昭和七年から同一〇年まで福岡県所在の麻生鉱業所で、同一一年から同一二年まで同じく三菱鯰田炭坑で、それぞれ採炭夫として働いた後、同一六年五月から同二六年一一月まで長崎県所在の住友潜龍鉱業所で支柱夫として働き、粉じん作業職歴は通算一五年七月である。

3  胸部エツクス線写真像

(一)  じん肺においては、粉じんの吸入により肺に生ずる線維化した部分は一・〇ないし一・五ミリメートルの大きさの小結節を形成し、エツクス線写真上粒状影または線状、細網状、網目状等の不整形陰影として現われる。そして、吸入粉じん量が増加すると、肺胞に粉じんが充満して塊状巣を形成し、これがエツクス線写真上大陰影として現われる。

したがつて、じん肺法では大陰影の有無、粒状影または不整形陰影の数によつてじん肺を第一型から第四型までの四段階に区分し、大陰影があると認められるものを第四型とし、大陰影がないと認められるものは、両肺野における粒状影または不整脈陰影の数によつて、その数が少数のものを第一型、多数のものを第二型、極めて多数のものを第三型としている(もつとも、以上の区分は昭和五二年七月一日の改正じん肺法(同年法律第七六号、同五三年三月三一日施行)に基づくものであり、右改正前においては、じん肺を粒状影を主とするものと異常線状影を主とするものに大別したうえで、それぞれを第一型ないし第四型に区分し、粒状影を主とするものについては、大陰影があると認められるものを第四型とし、大陰影がないと認められるものを粒状影の分布する範囲及び密度によりその程度の軽いものから順次第一型ないし第三型と区分していた。)。

(二)  そこで、亡安次郎の胸部エツクス線写真像について具体的に検討する。

(1) 亡安次郎が長崎労働基準局長宛に提出した昭和四七年五月二一日付じん肺健康診断等の結果証明書(<証拠略>)、同五一年から同五四年にかけて労働者災害補償保険給付の受給の継続のために毎年作成された診断書(<証拠略>、以下右結果証明書を含めて「労災保険診断書等」ということもある。)によれば、同人の胸部エツクス線写真像は、昭和四七年五月一五日の撮影分については医師松尾一彦により粒状影第三型、異常線状影第二型と診断され、同五一年一月一二日の撮影分については江迎病院の医師谷村吉三により粒状影第二型と、同五二年一月一一日、同五三年一月一一日の各撮影分については江迎病院の医師安田善治により粒状影第三型と(以上はいずれも右改正前の基準によつている。)、同五四年一月一〇日の撮影分については右安田医師により粒状影第二型と(右改正後の基準によつている。)それぞれ診断されている。

(2) 長崎大学附属病院の医師木谷崇和は、長崎労働者災害補償保険審査官に対する昭和五五年一一月二一日付意見書(<証拠略>、以下「木谷意見書」という。)において、亡安次郎の同五四年七月一一日撮影の胸部エツクス線写真について、第二型に相当するものと診断している。

長崎労働基準局医員である医師石川寿は、原審における証人尋問において、亡安次郎の昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真について、改正後の基準で第二型とし、同じく同五三年一一月一一日撮影の分についても、じん肺として特に進展はないと証言している。

また、神戸労災病院の医師種本基一郎は、原審における証人尋問において、じん肺の標準型胸部エツクス線写真と比べながら、亡安次郎の昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真について改正後の基準で第一型か非常に甘くみて第二型であるとか、右写真も同五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真も第一型とはするものの、第一型にもしにくいところがあると証言している。

(三)  このようにみてくると、亡安次郎の胸部エツクス線写真像は、昭和四七年から死亡直前までを通じて、じん肺法の前記改正後の基準による第二型に該当し、またその間特段の進展はなかつたものと認めるのが相当である。

4  肺機能検査の結果

(一)  肺機能の検査は、肺活量の測定を基礎として行われるのが一般であり、肺活量測定については、肺活量、努力性肺活量、一秒量、パーセント肺活量、一秒率等の概念があるが、このうち肺活量とは各種肺活量のうち最大値を示したもの、努力性肺活量とは最大努力下に急速に呼出させたガス量、一秒量とは呼出開始から一秒間の呼出ガス量、パーセント肺活量とは肺活量と身長および年齢から算出された肺活量基準値との比、一秒率とは一秒量と努力性肺活量の比をそれぞれいうものとされている。

そして、じん肺法の前記改正後は、フロー・ボリユーム曲線の検査により、V25(努力性肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度)を求める方法、動脈血酸素分圧および動脈血炭酸ガス分圧を測定し、これらの結果から、肺胞気・動脈血酸素分圧較差(AaD02)を求める方法も採用されている。

右改正後の肺機能検査は、一次検査と二次検査に分けられており、一次検査においては、スパイロメトリーによる検査とフロー・ボリユーム曲線による検査を行い、前者によりパーセント肺活量と一秒率を、後者によりV25を求めることとなつている。一次検査の結果等から著しい肺機能障害があると判定された者等については二次検査が行われないこととなつているが、それ以外の者は、一次検査における数値が二次検査を必要とする一定の基準に達しており、かつ、胸部臨床検査の呼吸困難の程度が第III度(ヒユー=ジヨーンズの分類に準じた分類によるものであり、平地でも健康者なみに歩くことができないが、自己のペースでなら一キロメートル以上歩ける者)以上の者等に該当すると、二次検査として動脈血ガスを測定する検査を行い、肺胞気・動脈血酸素分圧較差を求めることとなつている。

右各検査の結果の判定にあたつては、検査によつて得られた数値を判定の基準値に機械的にあてはめて判定することなく、胸部エツクス線写真像、病歴、過去の健康診断の結果、自覚症状、臨床所見等を含めて総合的に判定する必要があるとされている。右各検査のうち肺活量の測定を基礎として行われる検査は、被検者の真摯な努力、協力がなければ肺機能の障害の程度を的確に把握することができず、被検者の対応等によつて影響を受けやすいものであるが、動脈血ガスの測定による検査は、その性質上、被検者の対応等によつて影響を受けることなく、肺機能障害の程度を比較的客観的に、的確に把握することができるものである。

(二)  そして、右改正後の基準によると、〈1〉パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、〈2〉一秒率が男性においては年令六一歳で四七・四七パーセント、年令六二歳で四七・〇九パーセント、年令六三歳で四六・七二パーセント未満の場合、〈3〉V25を身長で除した値(以下「V25/身長」という。)が年令六三歳の男性で〇・五一未満であり、かつ、呼吸困難の程度が第III度、第IV度(前記の分類により、五〇メートル以上歩くのに一休みしなければ歩けない者)、第V度(右分類により、話したり、着物を脱ぐのにも息切れがして、そのために屋外に出られない者)の場合のいずれかに該当するときは、一般的に、著しい肺機能障害があるものと判定されることとなつている(なお、右改正前においては、パーセント肺活量が八〇パーセント以上で、かつ、一秒率が七〇パーセント以上のものを「換気機能正常」として取り扱つていた。)。

また、肺胞気・動脈血酸分圧較差については、年令六三歳で三七・〇三TORRを超える場合に、著しい肺機能障害があるものと判定されることとなつている。

(三)  そこで、亡安次郎についてこれらをみるに、各年度の数値は以下のとおりである。

(1) 昭和五二年一月(年令六一歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)四〇パーセント

一秒率             七五パーセント

(2) 同五二年一〇月二一日(年令六二歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)五〇パーセント

一秒率             三七パーセント

(3) 同五四年一月一六日(年令六三歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)五七・七パーセント

一秒率             六二・六パーセント

V25/身長           〇・二五

肺胞気・動脈血酸素分圧較差   三三・六二TORR

(四)  このようにみてくると、亡安次郎に肺機能障害があることは認められるが、一秒率の数値にはかなり極端な変動があり、またパーセント肺活量の数値は徐々に改善されているなど、前記のように、これらの検査の数値が被検者の対応等によつて影響を受けることを示唆していることを窺わせるところであり、右各数値に肺胞気・動脈血酸素分圧較差の数値を総合的に考慮すると、亡安次郎は、未だ著しい肺機能障害があるとするまでには至つていなかつたものと認めるのが相当である。そして、このことは、江迎病院において長年亡安次郎の治療にあたつた前記安田医師が、昭和五四年一月一六日に肺機能検査を行つた際、前記基準に該当するパーセント肺活量、V25/身長の検査結果を得たものの、二次検査を行い、しかも右各検査結果を総合した結果、F(+)(肺機能障害があるもの)と判定し、F()(著しい肺機能障害があるもの)と判定していないことによつても裏付けられるところである。

5  胸部臨床所見

亡安次郎の呼吸困難の程度は、前記労災保険診断書等によれば、前記のヒユー=ジヨーンズの分類に準ずる分類で、昭和四七年五月第II度(同年齢の健康者と同様に歩くことに支障はないが、坂や階段は同様に昇れない者)であり、同五一年一月には第III度となつたが、同五〇年一〇月ころ発症した脳梗塞による軽度半身不随の後遺症も指摘され、同五二年一月には第IV度となつたが、多発性関節リウマチにより重度の体幹の機能障害があり、じん肺以外の症状があると指摘された。昭和五三年一月には再び第III度となり、同五四年二月には第IV度となつたが、脳卒中後遺症があり、じん肺の症状だけであれば、病院への通院、散歩、一キロメートル程度の歩行等の日常生活が可能であると指摘された。このように亡安次郎の呼吸困難の程度は、次第に悪化しているようにもみえるが、それは主として脳梗塞の後遺症等に起因するものであり(これらがじん肺との相当因果関係が認められないことは後記のとおりである。)、じん肺による呼吸困難の程度が悪化しているとは必ずしもいえないものである。

また、咳や痰、心悸亢進の症状は継続的に認められる。

6  肺結核

(一)  肺結核は、じん肺の最も重大な合併症であり、特にけい肺との合併はかなり頻度が高く、かつてはけい肺患者の死亡率は肺結核の合併により大きく左右されたと指摘されるほどであつた。しかし、近年肺結核に対する治療法の進歩等に伴つて、右のような事態は改善されつつあるが、単純肺結核と比べて治癒し難く、また予後不良のものが多いことなどから、依然としてじん肺の重要な合併症となつている。

(二)  ところで、亡安次郎は、昭和四七年五月の喀痰培養検査の結果、コロニー一三個の検出をみたことは前記のとおりであり、その結果、活動性の結核であると診断されているが、その後の検査においては結核菌は検出されておらず、また、胸部エツクス線写真上も明確な肺結核像は認められず、同五一年一月以降の労災保険診断書等においては、結核精密検査により進行性のおそれがないものとして不活動性の結核であると判定されており、同人の肺結核は、かなり軽度のものであつたと認められる。

(三)  また、じん肺法は、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進を目的とするものであるが、右目的を達成するため、胸部エツクス線写真による検査、胸部臨床検査、肺機能検査等の結果に基づきじん肺患者を管理一ないし管理四に区分し、管理四と認定される者が最も厳格な健康管理が必要とされている。そして、亡安次郎が昭和四七年九月一日健康管理の区分四の認定を受けたことは前記のとおりであるが、じん肺法の前記改正前の区分では、管理区分四の認定を受けるのは、胸部エツクス線写真像が第四型以外の場合(右3で認定した事実によれば、亡安次郎は、第四型以外と認められる。)にあつては、高度の心肺機能の障害その他の症状があると認められるか、活動性の肺結核があると認められることが必要であつた。亡安次郎の場合には、前記のように昭和四七年五月に撮影された胸部エツクス線写真において粒状影が第三型と判定され、活動性の肺結核もあつたため、健康管理の区分四の認定を受けたものである。しかし、右にみたように、亡安次郎の肺結核は、その後不活動性のものとなつたから、右認定の前提を欠くに至つたものである。

7  肺性心

(一)  肺性心は、心臓自身には原因疾患がなく、肺疾患のため肺動脈末梢の抵抗が増加し、肺動脈圧亢進を来し、右室の負担過重、肥大拡張、最後には右室不全を起こすに至る状態をいい、慢性肺気腫等のほか、じん肺によつても生じ得るものとされ、じん肺においては、じん肺病変が高度に進展した末期的な症状であるとされる。その診断は、心臓自身に原因疾患がなく原因的肺疾患が存在すること、右室の肥大拡張、チアノーゼを伴う心不全徴候が存在することなどによつてなされる。

(二)  控訴人は、亡安次郎が死亡時じん肺による肺性心の状態にあつた旨を主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。もつとも、前記石川医師は、昭和五四年一一月二八日付意見書(<証拠略>、以下「石川意見書」という。)において、亡安次郎に心不全が認められたことについて、「じん肺による肺性心も完全に否定は出来ないが、可能性は少ない様な感じである。」との見解を示しているが、原審における証人尋問においては、石川医師自身、亡安次郎の病状の経過、検査の結果等から肺性心がある場合にみられる所見がないため、肺性心の可能性はなかつたものと思う旨の証言をしている。

また、亡安次郎には、昭和五〇年九月四日の心電図上一過性右脚ブロツクの所見が、同五二年一月二一日の心電図上恒久性右脚ブロツクの所見があることから、心臓に異常があり、それが悪化していることが認められ、右の点について、前記種本医師は、原審における証人尋問において、肺性心の一資料となり得る旨を証言しているが、右の各所見は心臓疾患によつても生じ得るものであるし、右の各所見のみから肺性心を認めることは到底できないところである。

さらに、じん肺による肺性心は、前記のようにじん肺罹患者の末期的症状として現われるものであるが、前記の病状の経過からみて亡安次郎が昭和五四年八月当時じん肺の末期的な状況にあつたことを窺うこともできない。

(三)  控訴人は、亡安次郎が肺性心に達していなくても、じん肺に起因する相当な心負担があつたことは明らかである旨を主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

後に検討するように、亡安次郎には、長年にわたり心房細動、不整脈が認められ、また肺うつ血もあつたことから、これにより亡安次郎の心臓に相当な負担が生じていたということはできるが、これがじん肺に起因するとの証拠はないばかりか、後記のように、これは、主にじん肺との因果関係の認められない他の疾患に起因するものであつた可能性が高い。

8  肺気腫

(一)  肺気腫は、呼吸細気管支または肺胞壁の拡張あるいは破壊によつて、終末気管支から末梢の容積が異常に増加した状態であるとされ、その成因は明らかではないが、慢性の呼吸器感染、気管支喘息、長期間の喫煙等のほか、じん肺によつても生じ得るものとされ、じん肺においては、一般に、じん肺病変が高度に進展した結果生じるものとされる。肺気腫の診断には、呼吸機能検査が重要であり、例えば、一秒率が五五パーセント以下になるとか、肺胞気・動脈血酸素分圧較差(AaD02)が正常値を超えることなどによつて診断される。また、肺気腫は、胸部エツクス線写真によつても診断されるものである。

(二)  亡安次郎については、前記のとおり死亡の約七か月前である昭和五四年一月一六日に行われた検査結果によると、一秒率が六二・六パーセント、肺胞気・動脈血酸素分圧較差三三・六二TORRであるから、右にみたように肺気腫の存在を示す所見ではない。

もつとも、前記労災保険診断書等によると、昭和四七年五月一五日、同五二年一月一一日、同五三年一月一一日、同五四年一月一〇日に各撮影された胸部エツクス線写真上著明な肺気腫が存在すると判定されているが、他方、昭和五一年一月一二日に撮影された胸部エツクス線写真上著明な肺気腫がなかつたとされている。

(三)  このように肺気腫に関し矛盾した検査結果、所見が存在するが、右検査結果に、じん肺においては一般にじん肺病変が高度に進展した結果肺気腫が生ずるとされるところ、前記のように亡安次郎はそこまで進展しているとはいえないこと、原審における証人尋問において亡安次郎の昭和五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真を精査した前記種本医師が肺気腫の存在を指摘していないことなどに鑑みると、同五四年当時亡安次郎に肺気腫が存在したかは疑わしいというべきであり、じん肺においては程度の差はあれ肺気腫性変化を伴う可能性が高いとの指摘を考慮しても、仮に亡安次郎に肺気腫が存在したとしても、その程度は軽度のものであつたということができる。

以上の事実が認められる。

右認定、説示の諸事実を総合すると、亡安次郎が罹患したじん肺の程度については、その合併症を考慮しても、控訴人が主張するように極めて重篤であつたとは到底いうことができず、中等症程度のものであつたと認めるのが相当である。

もつとも、控訴人は、亡安次郎のような炭坑夫じん肺においては、典型けい肺に比べて肺の線維化の程度は弱く、その重症度の判断にあたつては、胸部エツクス線写真像のみでなく、それに現われない気管支変化、気腫性変化に注目すべきである旨主張するところ、前掲<証拠略>によれば、右主張自体は合理的なものを含んでおり、現行のじん肺法令の下におけるじん肺の診断にあたつてもその趣旨が反映されているというべきであるが、本件においては、右主張をも踏まえながら、亡安次郎の罹患したじん肺の程度を検討してきたものであり、また、亡安次郎について病理解剖はされておらず、右変化を直接知る資料はなく、右認定、説示の諸事実を総合して判断するほかないものであるから、右主張によつて前記結論が左右されるものではない。

五  亡安次郎の死因

1  控訴人は、亡安次郎が肺炎により死亡したものと主張するので、この点について判断する。

前掲<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  亡安次郎は、前記のとおり、昭和五四年八月一七日早朝意識を失つたまま江迎病院に入院したが、午前七時四〇分に三八・五度の高熱を記録して以後、同日は、午後三時に三七・五度に下がつた以外は、終日三八度ないし三九度台の高熱が続き、翌一八日は、午後一時四五分に死亡するまで、四〇度ないし四二度の発熱が続いた。

(二)  右八月一七日に実施された亡安次郎の血液検査の結果によれば、白血球分類においてStの値が〇パーセント(正常値は三ないし六パーセント)、segの値が八二パーセント(正常値は四五ないし五五パーセント)といずれも異常な値を示しており、これは炎症の存在を窺わせるが、肺炎の場合に限らず生じ得るものでもある。

(三)  右同日の亡安次郎の血沈検査の結果によれば、一時間値が二五、二時間値が六〇であつて、正常値(男性の場合、一時間値が一五ないし二〇、二時間値が二四、五ないし三〇といわれている。)に比して若干亢進しているが、肺炎を思わせる検査値とはいい難いところがある。また亡安次郎の血沈検査の一時間値は、昭和五四年一月二五、同年二月二一、同年三月二三、同年四月二五、同年五月一八、同年六月二六であり、これらと比べても大差はないものである。

(四)  亡安次郎の治療にあたつた江迎病院の前記安田医師は、昭和五四年八月一八日作成の死亡診断書(<証拠略>)において、亡安次郎の直接死因を急性肺炎、その原因をじん肺症と診断しているが、亡安次郎が同年八月一七日に入院した際に作成された国民健康保険診療録(<証拠略>)には、その傷病名欄には「脳硬塞兼急性肺炎」と記載し、また主要病状等欄には「肺炎??」と記載している。

安田医師は、江迎労働基準監督署長宛に提出した昭和五四年九月二〇日付意見書(<証拠略>、以下「安田意見書」という。)においては、脳梗塞の併発を認め、「症例は昏睡に陥入り脳幹障害の症状も認む。翌日死亡に至るもので、脳の主幹動脈の閉塞を否定することは出来ないと思う。又既歴に脳硬塞発作(S五〇年)を認めており、この点からのみ判断すれば相当重篤であつたと言わざるを得ない。」としながらも、「脳硬塞を発生した症例にて肺炎併発は脳硬塞が故の二次的発生が充分に考えられるが、本症に限り、発作当日午前中撮影せるX線にてすでに肺炎像を認めており、一時的に脳卒中の末期に起り得る肺炎とは、その発症の時期からみて甚だ不自然である。」として、亡安次郎の直接死因を急性肺炎とする意見を明らかにし(もつとも、その原因は、右死亡診断書とは異なり、不明としている。)、その理由として、脳梗塞が少なからず肺炎を誘発したことは否定できないが、その発症の時期が不自然であること、昭和五四年七月一一日撮影の胸部エツクス線写真に既に軽度ではあるが、肺炎とも思える不整陰影が認められること、同年七月かなり高度の心肺機能不全が認められること、肺炎はじん肺に高率に合併し、直接死因として最大のものの一つであることなどを挙げている。

しかし、安田医師の右所見は、まず右診療録上肺炎の存在を疑つているばかりでなく、亡安次郎の死因として脳梗塞による肺炎の可能性を認めているものであるし、右可能性を否定する根拠として指摘する右胸部エツクス線写真において肺炎を思わせる陰影が認められるとする点は、後記のように他の医師らによつて否定されているところであつて、亡安次郎の死因を急性肺炎とする安田医師の見解は、その根拠を欠くものであり、大いに疑問の余地があるものである。

もつとも、じん肺罹患者に肺炎が併発しやすいものであり、これに安田医師の右所見などを考慮すると、亡安次郎が急性肺炎により死亡したとの推測も全く不可能ではないが、次の(五)ないし(八)の諸事実を考慮すると到底合理的な推測ということはできない。

(五)  肺炎であるか否かの診断においては、白血球数の増加の有無がかなり重要であるが、亡安次郎の前記昭和五四年八月一七日の血液検査の結果によれば、白血球数は八四〇〇であつて、正常範囲の四〇〇〇ないし八〇〇〇と比較してもさほど増加していないし、右のように安田医師が胸部エツクス線写真上肺炎像が認められるとした同年七月一一日の白血球数は三九〇〇であり、同年八月八日の白血球数は六七〇〇であり、いずれも増加していない。

控訴人は、右八月一七日の血液検査の結果は抗生物質の投与により、白血球数の増加が抑えられたためであると主張し、実際、同日には抗生物質であるりラシリンとセフアメジンが各二グラムずつ投与されているのであるが、右抗生物質の投与により白血球数が抑えられたことを認めるに足りる証拠はない。

また、亡安次郎の治療にあたつた安田医師は、昭和五四年七月一一日に撮影した胸部エツクス線写真上肺炎像が認められるとするものの、右同日あるいは同年八月八日亡安次郎が江迎病院を受診した際、同人を肺炎と診断したこともなかつたし、そのための治療をしたこともなかつた。

(六)  亡安次郎は、前記のように昭和五四年八月一七日の入院以来高熱が続いたが、高熱は、肺炎の場合に限らず、脳血管障害により温熱中枢のバランスが崩れて生じる場合や、一般的に炎症によつて生じる場合があり、脳血管障害に付随した感染症によつて高熱を発することもある。

(七)  前記木谷医師は、木谷意見書において、昭和五四年七月一一日撮影の胸部エツクス線写真について、はつきりした肺炎と思われる陰影は認め難いとし、同年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真については、肺炎像はみられず、むしろ肺うつ血像がみられるとし、また前記石川医師、種本医師も右八月一七日撮影の胸部エツクス線写真について、いずれも肺炎像はみられず、むしろ肺うつ血像がみられるとしている。

(八)  前記のように亡安次郎の死因を急性肺炎であるとする安田医師自身、急性肺炎と断定しているものではなく、また右の結論には、その前提を欠くなど疑問があるばかりでなく、亡安次郎に相当重篤な脳梗塞が生じており、これに肺炎が併発して死亡したことも十分に考えられるとしている。

また、石川医師は、石川意見書において、亡安次郎の胸部エツクス線写真像、血液検査による血沈値、白血球数値からみて肺炎の可能性を否定し、亡安次郎の病歴、症状の経過などから同人の死因は脳梗塞によるとの意見を明らかにし、原審における証人尋問においても、右同様の証言をしている。

木谷医師は、木谷意見書において、石川医師と同様に肺炎の可能性を否定し、亡安次郎のじん肺の程度が死亡の直前まで生命を左右する程の症状の悪化を来していないこと、従前心房細動が認められていたこと、昭和五四年八月一七日から翌日死亡するまでの意識消失、左片麻痺等の症状の経過から亡安次郎の死因は脳梗塞であると考えられるとし、その一つの可能性として「従来より慢性の心房細動があり、このために心臓内に血栓の形成されやすい状態にあつたとは考えられ、この血栓が血流にのり、脳血管を閉塞したとも考えられる。」としている。

さらに種本医師は、その意見書(<証拠略>以下「種本意見書」という。)において、脳塞栓は、心疾患があつて心房細動を呈しているものに高頻度で心臓内に血栓が形成され、その血栓が偶然に遊離して脳血管へ流入し閉塞して脳梗塞を起こす場合であり、心疾患のない老年者の心房細動でも致死的脳梗塞をしばしば起こすことが報告されているとし、亡安次郎は病歴、胸部エツクス線写真の心陰影、心電図からリウマチ性心臓弁膜症に罹患していたと考えられること、昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真上心陰影拡大(心胸比五〇・四パーセント)、肺うつ血がみられ、死亡の前日の同五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真上心陰影が著明に拡大し(心胸比五九・〇パーセント)、僧帽型の形状を呈し、うつ血性心不全が考えられること、昭和四八年一二月三日の心電図で心房細動が認められ、その後悪化していること、脳塞栓による脳梗塞は心臓内の血栓がしばしば遊離して頻発することがよく知られているところ、昭和五〇年一〇月脳梗塞の診断で入院していること、昭和五四年八月一七日から翌日死亡するまでの突然の意識消失、左半身不随等の症状の経過から、亡安次郎は脳塞栓に基づく脳梗塞により死亡したものと考えられるとの意見を明らかにし、原審における証人尋問においても右同様の証言をしている。

このような種本医師、石川医師、木谷医師の各見解は、亡安次郎の症状、病歴、各種検査の結果等に照らし、合理的なものであるということができる。

以上の事実が認められる。

右認定、説示によると、亡安次郎の死因が控訴人主張のように肺炎であつたとは到底認めることができず、ほかに控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。

2  ところで、右認定、説示によると、亡安次郎の死因は脳梗塞であつたことが窺われるので、さらにこの点について検討する。

前項掲記の各証拠によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  脳は、血流不足特に酸素不足に極めて敏感で、容易に障害され、血流の遮断が一、二分も続くと不可逆的な変化が起こり、ついには脳実質は壊死軟化を起こし、死に至るとされ、脳血流の遮断は脳血栓、脳の塞栓などが原因となつて生ずるが、このような虚血性の脳実質壊死による病変が脳梗塞と呼ばれている。脳梗塞の中では脳血栓によるものが最も多いといわれている。

(二)  脳血栓は、脳血管の粥状硬化によつて、その血管壁に血栓が形成され閉塞するものであるが、その原因として最も多いのは動脈硬化であるとされている。

脳血栓の多くは、しびれ感、不全失語などの前駆症状を繰り返し、脳塞栓と比べると比較的徐々に発症し、睡眠中あるいは早朝起床時などの安静時に多く発症するといわれている。また、脳動脈は加令とともに硬化するため、年齢五〇歳以上の者、あるいは動脈硬化を促進する高血圧症、糖尿病などの疾患のある者に多く発症するといわれている。

脳血栓においては、片麻痺、言語障害、意識障害などの卒中発作があり、脳塞栓と比べると生命に対する予後は悪いとされ、再発を繰り返すことも多く、再発時の死亡率は初発時よりも高いとされている。

(三)  脳塞栓は、他の部位にできた血栓が脳に流れてきて、脳血管を閉塞するものであるが、その多くは心疾患に由来する血栓、特に左心の心疾患に由来するものであるといわれている。心疾患に心房細動を伴うものに高頻度で発症し、特に心房細動を伴う僧帽弁狭窄症に最も多く発症するとされるが、そのほか心筋梗塞、細菌性心内膜炎等によつても発症するとされている。

前駆症状もなく、極めて突然に運動麻痺などの卒中発作があるのが特徴的であり、年令を問わず、活動時、安静時を問わず発症するとされている。

一般には意識障害は軽度であるが、けいれんは脳血栓よりも多いとされている。生命に対する予後は脳血栓と比べるとよいが、しばしば再発を繰り返し、再発時の死亡率は初発時よりも高いといわれている。その診断は、急激な発症、慢性心房細動などの心疾患の存在、最近起こつたと思われる他の部位の塞栓の証明などによつてなされている。

(四)  亡安次郎は、六三歳で死亡するまで、高血圧症、糖尿病と診断されたことはなかつた。

また、昭和五〇年一〇月歩行障害、言語障害等が生じ、脳梗塞の診断で江迎病院に入院し、その後回復したものの、言語障害、軽度の半身不随の後遺症が残つたことは、前記のとおりである。

(五)  亡安次郎は、昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真上既に心胸比(胸郭の横幅に対する心臓の横幅の比率をいい、正常では四五パーセント位であるといわれている。)が五〇・四パーセントであり、心陰影が拡大し、左第四弓の突出、肺うつ血像もみられ、死亡前日の同五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真上心胸比が五九・〇パーセントと著明に心陰影が拡大し、その形態も左第一、二、三、四弓が直線状に拡大し、右第二弓も拡大して、僧帽型の形状を呈し、肺うつ血像がみられたことから、心疾患に罹患していたと考えられる。

また、亡安次郎は、昭和四八年ころには心房細動がみられ、以後死亡に至るまでみられた(同人に心房細動がみられたことは前記のとおりである。)。

(六)  亡安次郎は、前記のとおり、昭和五四年八月一六日の深夜から翌一七日の早朝の間、睡眠中に、突然意識喪失、左片麻痺などの重篤な発作を起こし、けいれんなどの症状もみられた後、翌一八日発症から極めて短い期間のうちに死亡するに至つた。

(七)  前記のように、亡安次郎の死因について、安田医師は脳梗塞による可能性を認め、そのほかの石川医師、木谷医師、種本医師は脳梗塞によるものとしている。

ただ、右脳梗塞が脳血栓によるか、あるいは脳塞栓によるかについては、木谷医師は、一つの可能性として慢性の心房細動の存在から脳塞栓に起因したことを明らかにし、種本医師も、前記のように具体的な根拠を示して、脳塞栓によるものであつたとしている。

他方、石川医師は、原審における証人尋問において、脳塞栓であつたと判断することは不可能であり、脳血栓による可能性も残つていると証言している。

以上の事実が認められる。

右認定、説示に前項の認定、説示を総合すると、被控訴人主張のように亡安次郎の死因は脳梗塞であると認めるのが相当であり、亡安次郎について病理解剖等の必要な検査が行われていないため、右脳梗塞が脳血栓によるのか、あるいは脳塞栓によるのかは断定し難いところであるが、病歴、症状、胸部エツクス線写真、心電図等の検査結果等に照らすと、脳塞栓によるものであつた可能性が高いということができるものの、脳血栓によるものであつたとの可能性も否定できないというべきである。

六  じん肺と脳梗塞との因果関係

そこで、亡安次郎の死因である脳梗塞とじん肺との相当因果関係が問題となるわけであるが、右にみたように右脳梗塞が脳血栓によるものであつたとの可能性も否定できないところ、この場合には、じん肺との因果関係を認めるに足りる証拠はない。

また、右脳梗塞が脳塞栓によるものであつた可能性が高いわけであるが、これに対して、控訴人は、仮に亡安次郎の死因が脳梗塞であるとしても、じん肺により虚血性心疾患または慢性関節リウマチに基づく心膜炎が惹き起こされ、これによる心房細動によつて、心臓に血栓が形成され、脳梗塞が発生したものである旨を主張するので、以下この点について判断する。

1  虚血性心疾患について

(一)  控訴人は、亡安次郎には肺性心の疑いがあり、これが心筋梗塞または狭心症という虚血性心疾患を惹き起こし左心室肥大を招いた旨を主張するのであるが、亡安次郎に肺性心を認めるに足るだけの証拠がないことは前記のとおりである。また、<証拠略>によれば、肺性心は肺動脈末梢の抵抗増加により右室の負担過重、肥大拡張を招くものであつて、よほど重症のものでない限りそれが左心にまで及ぶことは考えられないところであるが、亡安次郎のじん肺の程度が重症とまではいえないこと前記のとおりとすると、この点からも控訴人の主張は理由がないものといわなければならない。そして、控訴人がその主張の根拠とする「じん肺罹患者の合併症(第四報)」(<証拠略>)においても、「肺性心の左室肥大は一般に軽度であり、それ自体が心筋梗塞の発症要因となることは稀であろう」と述べているところである。

(二)  また、控訴人は、慢性肺疾患による冠状動脈硬化、血液ガスの異常とそれに基づく冠血流量の変化、二次性多血症がいずれも虚血性心疾患のリスクフアクターである旨を主張するが、亡安次郎にこれらの症状がみられたことについての具体的で的確な証拠はなく、右一般論を直ちに本件に適用すべき根拠もないから、この点の控訴人の主張も理由がない。

(三)  なお、控訴人は、慢性肺疾患による血液粘稠度の亢進が血栓の形成を助長するとし、亡安次郎の場合もヘマトクリツト値が脳血管障害のリスク基準とされる四五パーセント以上に達していた旨を主張するのであるが、右基準によつても亡安次郎のヘマトクリツト値はその前後であり(特に、<証拠略>によれば、亡安次郎の死亡直前の昭和五四年七月においては四三パーセント、同年八月においては四四パーセントといずれも正常値である。)、そこから血栓形成の助長までを推認することは到底できないものであるから、控訴人の右主張も採用することができない。

(四)  このように、亡安次郎の死因とされる脳梗塞がじん肺による虚血性心疾患に起因するものである旨の控訴人の主張は、いずれもその前提を欠くか、本件に適用すべき根拠を欠くものであつて、採用することができない。

2  慢性関節リウマチに基づく心膜炎について

(一)  亡安次郎のリウマチ性疾患罹患の有無については、<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 亡安次郎のリウマチ性疾患罹患の有無に関する資料は多くはない。

亡安次郎の看護記録の中には、「昭和三一年に関節が痛くなり、徳田病院にて受診す。その結果関節炎リウマチと診断され、その後二―三日に一回注射及び薬にて、治療通院す。」(昭和五〇年二月ころ作成)、「S三九年よりS五〇年四月迄リウマチじんぱいにて当院に入院し」(昭和五一年五月作成)との各記載があり、また、前記安田医師作成の昭和五二年一月付労働者災害補償保険診断書添付資料には、「多発性関節リウマチに依る体幹の機能障害にて一級取得」との記載がある。また、亡安次郎の妻である控訴人も、長崎労働者災害補償保険審査官の事情聴取に対して、亡安次郎は四一歳のとき関節リウマチにかかり一二ないし一三年ほど治療していた旨を供述している。

以上のほかに、亡安次郎のリウマチ性疾患の罹患の有無、程度、症状に関する資料は提出されていない。

(2) ところで、リウマチ性疾患とは、一応運動器の疼痛性疾患であると定義がなされているが、多種多様の疾患を含み、その定義も容易ではないといわれている。

そのうち代表的なものは、リウマチ熱と慢性関節リウマチであるが、まず、リウマチ熱は、A群溶連菌の感染の結果として起こる一連の全身性炎症を生ずる疾患であるとされている。リウマチ熱においても急性で、多発性、移動性の関節炎が生ずるが、慢性関節リウマチが指関節を好んで冒すのに対し、足、膝などの大関節が冒されやすく、また後遺症を残すことなく治癒するのが通常であるといわれている。リウマチ熱の重要性は、右の点ではなく、しばしば心臓に後遺症を残す点にあり、後天性弁膜症の原因の大部分を占めるものである。リウマチ熱罹患者のうち五〇ないし六〇パーセントに心炎が併発するといわれ、その場合、特に左室、左房心内膜、僧帽弁が冒されやすく、弁膜症という後遺症が残るものである。リウマチ熱の診断はしばしば困難であるが、胸部エツクス線写真上みられる心陰影の拡大、特に左房、左室の拡大は、リウマチ性心炎の診断に重要であるとされている。リウマチ熱は、あらゆる年令層にみられるが、最も多く発症するのは、五歳ないし一五歳であり、二〇歳以上の初発は稀であるものの、再発はリウマチ熱の特徴であるともいわれている。

他方、慢性関節リウマチは、通常、進行性の慢性に経過する原因のよく分からない多発性の関節炎で、しばしば寛解と再発を繰り返す疾患であるとされている。その原因は不明であり、その定義も困難であるが、その進展には免疫反応が関与していると考えられているものの、未だ病因解明への道は遠いといわれている。慢性関節リウマチは、多発性、進行性、慢性、対称性の関節炎が特徴とされ、指に特有の変形を来すことが多く、症状がおさまつてもあくまでも緩解であつて、治癒とは認められないことが特色である。症状が進行すると、軟骨や骨に非可逆的な変化が生ずるため、関節のエツクス線写真上の所見も重要である。これにより心膜炎などの心炎を起こすこともあるが、心症状が問題となることは少なく、あつても軽微であり、その診断においても、心炎があれば他の疾患との鑑別診断が必要であるとされている。慢性関節リウマチの診断は、朝のこわばり、関節の運動痛、圧痛、関節の腫脹、骨、関節のエツクス線写真像、リウマチ因子の陽性、血沈亢進など多岐にわたる項目を検討することによつてなされている。このうちリウマチ因子については、RAテスト(latex粒子に変性ヒトIgGを結合させた試薬を使用し、スライドグラス上で被検血清と混ぜその凝集をみる方法)において他のリウマチ性疾患より高率の陽性率を示すことから、注目されているが、健康人でも少数ではあるが陽性を示し、高令者になると二〇パーセント以上の陽性率を示すため、これのみならず、ほかの項目を総合して診断されることになつている。

(3) 心臓の僧帽弁に異常がある後天性の僧帽弁疾患には、僧帽弁閉鎖不全症と僧帽弁狭窄症があり、このうち僧帽弁閉鎖不全症は、その原因としては、リウマチ性心内膜炎が大部分を占め、その場合には、僧帽弁狭窄症を合併することが多く、そのほかには細菌性心内膜炎、外傷性弁帆損傷、動脈硬化症なども原因疾患として挙げられているが、例は少ない。僧帽弁閉鎖不全症においては、左房、左室が肥大、拡張し、さらに進行するとうつ血肺を生じ、右室の肥大、拡張を来すが、予後は、他の弁膜疾患と比べて比較的良好であるといわれている。僧帽弁閉鎖不全症は、胸部エツクス線写真上、心陰影としては、左房、左室の拡大と、肺血管陰影としては、肺うつ血像がみられることが特徴である。

僧帽弁狭窄症は、その原因のほとんどがリウマチ性心内膜炎によるものといわれ、その発症は、リウマチ熱の発作以後少なくとも二年を要し、リウマチ性炎症が治癒した後に生ずるといわれている。僧帽弁狭窄症においては、左房が肥大、拡張し、左室は正常であることが多く、場合によつては萎縮することがあり、進行すると右室が肥大、拡張する。このように左房が巨大となり、血液が滞留すると、血栓ができやすくなり、特に心房細動を伴う場合には血栓ができやすくなり、これによつて動脈に閉塞を来すこととなるが、その半数は脳塞栓であるといわれている。僧帽弁狭窄症は、胸部エツクス線写真上、心陰影としては、左房、右室の拡大、肺動脈弓の拡大と、肺血管陰影としては、肺うつ血像がみられることが特徴であり、肺うつ血は、僧帽弁閉鎖不全症より著明である。また、心房細動をしばしば伴うとされている。

(4) 肺うつ血は、慢性肺炎、肺気腫などにおいてもみられるが、左心不全によつて起こりやすく、僧帽弁疾患、特に僧帽弁狭窄症によつて起こることが多いとされている。

(5) 心房細動は、冠硬化症、高血圧症、心不全、バセドウ病等によつても起こるが、原因疾患として最も重視されているのは僧帽弁狭窄症であり、僧帽弁狭窄症においては、右にみたようにしばしば心房細動を伴うと、左心房に血栓を生じやすくなり、脳塞栓を起こすことがよく知られている。

(6) 前記のように慢性関節リウマチにおいても心膜炎が生じ得るとされるが、亡安次郎が実際にこれによる心膜炎を起こしていたことを示す所見はない。

(7) 前記RAテストについては、昭和四九年一二月亡安次郎に対し実施され、陽性の結果を示したことがあつたが、そのほかには実施されたとの証拠はない。また、ほかに、亡安次郎に対しリウマチ性疾患に関する必要な検査がなされた形跡はない。

(8) 他方、前記のように亡安次郎については、昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真上既に心陰影の拡大がみられ、死亡前日の同五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真上心陰影が著明に拡大し、心胸比は五九・〇パーセントに達し、その拡大の形態は、僧帽型の形状を示している。また、亡安次郎の右の各エツクス線写真上肺うつ血像が認められ、長年にわたり心房細動もあつた。

(9) 前記種本医師は、種本意見書において、亡安次郎の病歴、胸部エツクス線写真、心電図上の所見等を総合して、亡安次郎は、「以前よりリウマチによる心臓疾患に罹患していて、左心房に形成された血栓が時々離脱して脳塞栓を惹起していたが、今回大発作を起して死亡したもの」との意見を明らかにし、原審における証人尋問においても、その旨の証言をしており、右意見は、亡安次郎の病歴、右各検査の所見等に照らし、一つの合理的な可能性を示したものということができる。

以上の事実が認められる。

右認定、説示によると、亡安次郎の症状、その経過、必要な検査の結果等不明な点も多いが、ほかに立証のない本件においては、亡安次郎がリウマチ性疾患に罹患していたものと認めるのが相当である。

そして、右認定、説示に、前記脳塞栓に関する認定、説示を総合すると、亡安次郎がリウマチ性疾患に罹患し、これにより僧帽弁疾患、特に僧帽弁狭窄症を発症し、併発していた心房細動も加わり、脳塞栓を来した可能性は、右認定の諸事実に照らすと、合理的であり、相当高いといわざるを得ず、病理解剖等必要な検査のなされていない本件においては、ほかに右僧帽弁疾患、脳塞栓の原因疾患の存在を窺うことは困難である。

(二)  ところで、控訴人は、亡安次郎が慢性関節リウマチにより心膜炎を起こし、これが心房細動の原因となつた旨を主張するが、前項の認定、説示によれば、亡安次郎が罹患したリウマチ性疾患は、必要な検査等が実施されていない本件においては、慢性関節リウマチであつたのか否かは直ちに判断し難いものであるが、慢性関節リウマチであつた可能性も否定できないものの、右認定の亡安次郎の胸部エツクス線写真上の所見、心房細動の存在、同人の病歴、リウマチ熱と慢性関節リウマチの特徴等の諸事実に照らすと、リウマチ熱であつた可能性がむしろ高いものというべきである。右以上に亡安次郎が慢性関節リウマチに罹患していたことを認めるに足りる証拠はなく、また亡安次郎が仮に慢性関節リウマチに罹患していたとしても、これが亡安次郎にみられた心房細動の原因となつたとの控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。

このように、亡安次郎は、リウマチ熱に罹患していた可能性が相当にあり、この場合、これに起因する僧帽弁疾患により脳塞栓を来し、死亡するに至つたことが十分に考えられるところであるが、右リウマチ熱とじん肺との因果関係を認めるに足りる証拠はない。

また、亡安次郎が慢性関節リウマチに罹患していた可能性も否定できないが、この場合には、後記のとおり右慢性関節リウマチとじん肺との因果関係も認め難いうえ、右慢性関節リウマチと亡安次郎に生じたとされる脳塞栓との因果関係については、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

3  慢性関節リウマチとじん肺との因果関係

なお、控訴人は、慢性関節リウマチをじん肺の続発症である旨を主張するので、仮に慢性関節リウマチと心房細動の原因となつた僧帽弁膜症との間に因果関係があるものとして、この点についても検討しておくこととする。

<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  慢性関節リウマチは、前記のとおりその定義も困難であるとされ、自己免疫疾患的色彩の濃いことは多くの者の認めるところであるものの、これですべての原因を説明することは困難であり、未だ解明への道は遠いとされている。

(二)  他方、粉じんにアジユバント効果(各種の抗原に対して抗体産生を高める作用)を認め、じん肺や慢性関節リウマチ等を右効果に基づく自己免疫疾患(本来免疫寛容であるはずの自己に対して抗体を産生する疾患)として粉じん暴露に基づく並列的な疾患として捉える研究がなされている。したがつて、この見解によれば、慢性関節リウマチをじん肺の続発症とみることはできないとしても、粉じん作業との因果関係が認められることもあり得ることとなる。しかし、右見解は、研究途上のものであつて、右見解の主唱者自身、自己免疫疾患の発症要因として粉じんのアジユバント効果のほかに他の要因の可能性のあることを指摘しており、現段階では未だ大方の支持を得るに至つていないのみならず、本件において亡安次郎が粉じんのアジユバント効果により慢性関節リウマチに罹患したことを認めるに足りる証拠はない。

(三)  また、カプランは、リウマチ性関節炎を有する炭坑夫に、胸部エツクス線写真上境界鮮明な円形陰影で、両肺全野に比較的均等に分布する特有な塊状巣があるものがあることに注目し、このような塊状陰影とリウマチ性関節炎が合併したものがカプラン症候群と呼ばれるようになつたが、炭坑夫じん肺に慢性関節リウマチが合併した場合に、右の特有な陰影を示す者は一七パーセントから三五パーセントであるとか、炭坑夫における慢性関節リウマチの合併頻度は多くても二・五パーセントであるとの報告もあるところ、亡安次郎の胸部エツクス線写真上右のような特有な陰影は認められないし、ほかに同人がカプラン症候群に罹患していたことを認めるに足りる証拠はない。

(四)  以上によれば、亡安次郎が罹患した可能性がある慢性関節リウマチをじん肺の続発症と認めることができないのはもちろんのこと、未だ同人の粉じん作業に基づくものと認めることもできないものといわなければならない。

七  じん肺による脳梗塞の予後不良について

1  まず、控訴人は、じん肺による低酸素血症により、亡安次郎の脳梗塞の予後が不良であつた旨を主張する。確かに、<証拠略>によれば、一般にじん肺の患者には低酸素血症が伴うことが認められるが、亡安次郎の低酸素血症がどの程度であつたかについてはこれを明らかにする証拠はなく、それが脳梗塞の治療を阻害したものであるかは明らかでないし、ほかに控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、控訴人は、じん肺による全身的な体力の低下が脳血管障害に対する抵抗力を減弱させた旨を主張するが、これも一般論にすぎず、右一般論を本件に適用すべき根拠を欠くばかりでなく、控訴人の主張する体重減少だけでは、亡安次郎の死因となつた脳梗塞の予後に影響を与えたことを認めるに足りないものといわなければならず、ほかに控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。

3  そして、心筋梗塞の予後に慢性肺疾患が与える悪影響を脳梗塞の場合にも同様に妥当するとして、亡安次郎の慢性肺疾患としてのじん肺が、その死因となつた脳梗塞の予後を不良ならしめてその死亡の致死率を高めるとする控訴人の主張も、これを認めるに足りる証拠はない。

八  以上のとおりであつて、亡安次郎の死因と同人の罹患したじん肺との間に相当因果関係を認めることはできないものといわざるを得ず、亡安次郎の死因は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾患」に該当しないから、亡安次郎の死亡は業務に起因するものではないとして控訴人の申請にかかる前記労災保険給付を支給しない旨の被控訴人の本件処分は適法であり、ほかにこれを取消すべき違法の点は認められない。

したがつて、本件処分の取消を求める控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきものである。

九  よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田延雄 湯地紘一郎 升田純)

【参考】第一審(長崎地裁昭和五八年(行ウ)第二号 昭和六二年八月七日判決)

主文

一 原告の請求を棄却する。

二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告が原告に対して昭和五五年一月一四日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償年金および葬祭料の支給をしない旨の処分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二 請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一 請求原因

1 訴外亡木下安次郎(以下「亡安次郎」という。)は、大正四年一〇月一五日出生し、尋常小学校卒業後昭和七年から同一二年まで福岡県の炭坑で採炭夫として働き、同一六年から長崎県北松浦郡江迎町所在の住友石炭鉱業株式会社潜龍炭坑において、支柱夫として粉じん作業に従事し、同二六年一一月坑内作業による過労等のために眼を悪くして同炭坑を退職した。

2 亡安次郎は、昭和三八年ころから呼吸困難、咳、痰に悩まされるようになり、同四七年五月医療法人十全会江迎病院(以下「江迎病院」という。)に受診したところ、じん肺結核症と診断され、直ちに同病院に入院し、同年九月一日じん肺管理区分四と認定された。

その後も、同人の症状は悪化し続け、じん肺を原因とする肺炎もしくは脳梗塞により、またはじん肺により肺炎もしくは脳梗塞を悪化させ、同五四年八月一八日に死亡した。

3 原告は、亡安次郎の妻であつて、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持し、また、同人の葬祭を主催したものである。

4 原告は、昭和五四年八月被告に対して、亡安次郎の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付および葬祭料を請求したところ、被告は、同五五年一月一四日亡安次郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右各給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、その旨原告に通知した。

原告は、本件処分を不服として、長崎労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同五六年一月八日付で棄却され、さらに同年三月四日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同五七年一二月二三日付で棄却の裁決がなされ、同五八年三月二日その旨の通知を受けた。

5 しかしながら、亡安次郎の死亡は、以下に述べるとおり労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」によるものということができ、業務上の事由によるものであるから、本件処分は違法である。

なお、右業務上の判断にあたつては、「被災者が粉じん作業に従事し、じん肺症に罹患したこと」と「右じん肺症およびそれを基盤とする各種合併症に影響され、その影響下に被災者が死亡したこと」との間に合理的な関連性があれば足り、じん肺と死因との間に相当因果関係があることまでは要しないものと解すべきである。

(一) 亡安次郎のじん肺の程度

以下の諸事実によれば、亡安次郎の死亡当時、同人のじん肺は、それ自体によつて死亡することも考えられる程度に極めて重篤であつた。

(1) 前記のとおり、亡安次郎の粉じん職歴は一五年以上の長きにわたつており、いわゆる重症の炭坑夫じん肺に罹患する素地は十分であつた。

(2) 亡安次郎の昭和四七年から同五四年にかけての各じん肺健康診断結果証明書によれば、同人の胸部エツクス線写真の像は、いずれも、じん肺の第二型または第三型とされており、同四七年九月一日の行政認定でも第三型と認定されている。

ところで、亡安次郎のような炭坑夫じん肺の場合は典型けい肺に比べて繊維化の程度が弱く、胸部エツクス線写真における陰影は小さいことが多いが、右写真に現われにくい気管支変化、気腫性変化は強く、じん肺の重症度を右エツクス線写真像のみから決することはできない。

(3) 亡安次郎の肺機能検査の結果によれば、昭和五四年二月一五日(当時六三歳)時点において、パーセント肺活量が五七・七%、V25/身長〇・二五であつて、じん肺ハンドブツクにいう「著しい肺機能障害がある」という基準に該当している。また、肺胞気・動脈血酸素分圧較差測定の成績も三三・六二TORRと限界値に近い値である。

(4) 亡安次郎がじん肺の末期的症状である肺性心の状態にあつたかどうかは、心房細動のため肺性Pが心電図上判読できず、確定診断はできないが、心電図上一過性右脚ブロツクから恒久性右脚ブロツクへの増悪傾向が認められ、肺性心の疑いがある。

(二) じん肺の合併症としての急性肺炎による死亡

(1) 以下の諸事実からみて、亡安次郎は急性肺炎により死亡したものである。

(ア) 亡安次郎は、昭和五四年八月一七日、江迎病院入院直後から高熱を発し、同日は三八度から三九度の発熱が続き、翌一八日は未明から死亡した午後一時四五分に至るまで、三九度ないし四〇度の異常な高熱が続いた。

(イ) 亡安次郎の昭和五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真には、肺炎と思われる不整陰影が認められる。

仮に、右エツクス線像には、肺うつ血しか認められないとしても、うつ血像によつて肺炎像の読影が困難になつているためであつて、それによつて肺炎が否定されるものではない。

(ウ) 亡安次郎の右同日の血液検査の結果によれば、白血球分類で極めて異常な炎症所見(st〇%、seg八二%)を示している。

もつとも、白血球数は八四〇〇とさほど増高していないが、これは抗生物質の大量投与によつて、その増高が抑えられているからである。

(エ) 亡安次郎の右同日の血沈検査の結果によれば、一時間値二五、二時間値六〇と亢進している(正常値は、一時間値が一五ないし二〇、二時間値が二四、二五ないし三〇程度である。)。

(オ) 主治医である安田善治は、以上の結果をふまえて亡安次郎の死因を急性肺炎と診断している。

(2) じん肺と肺炎との関連性

肺炎は、じん肺に必発的な感染症であり、じん肺と肺炎との関連性、因果関係は明らかである。

すなわち、じん肺患者における多量の分泌物(喀痰)の発症は、呼吸器内への分泌物の貯留を招き、タンパク栄養を細菌・ウイルスに供給して呼吸器内を細菌・ウイルスの培地としてしまう。また、粉じんの免疫系統に与える悪影響は、細菌・ウイルスに対する抗体産生にまで影響を及ぼし、抵抗減弱を招く。さらに、じん肺による肺血管系統の破壊によつて、抗生物質等の薬剤が炎症患部まで到達しにくくなり、治療効果の減退をきたす。

(三) じん肺による脳梗塞の惹起

仮に、亡安次郎が肺炎のほかに脳梗塞を併発していたものとしても、脳梗塞のみにより死亡したかは不明というべきである。しかしながら、脳梗塞が亡安次郎の死亡の大きな要因の一つであつたとしても、脳梗塞とじん肺との因果関係もまた否定できない。

すなわち、脳梗塞には、脳血管の動脈硬化により脳血管自体が閉塞する脳血栓と、心臓で形成された血栓が動脈血に流れ出して脳血管を塞ぐ脳血栓とがあり、亡安次郎のように高血圧、高脂血症(高コレステロール)、糖尿病の既往症を有しない者の場合、動脈硬化による脳血栓の可能性は低く、脳塞栓と考えられるのであるが、亡安次郎において、心臓での血栓形成の原因となつたのは同人の心房細動であり、そしてその心房細動の原因となつたのは、以下のとおりじん肺と因果関係の認められる心疾患である。

(1) 虚血性心疾患

(ア) 虚血性心疾患とは、冠状動脈を侵し心筋に虚血をきたす疾患群を意味する病理生理学的概念であり、心筋梗塞や狭心症などがこれにあたるが、このような症例においては、心房細動を含む不整脈がその八〇パーセントないし九〇パーセントに出現する。

(イ) 虚血性心疾患の成因としては、動脈硬化が臨床上もつとも重視されているが、前記のとおり、亡安次郎の場合動脈硬化の主要危険因子は否定されており、むしろ、以下に述べるとおりじん肺がその原因と考えられる。すなわち、じん肺のような慢性肺疾患による肺性心は、虚血性心疾患を惹き起こす心臓の左心室肥大の原因となるところ、亡安次郎には、前記のとおり肺性心の疑いがあり、左心室肥大がみられた。また、慢性肺疾患による冠状動脈硬化、血液ガスの異常とそれに基づく冠血流量の変化、二次性多血症は、いずれも虚血性心疾患のリスクフアクターであるところ、慢性肺疾患たるじん肺に罹患していた亡安次郎は、右リスクフアクターを有していた可能性がある。

(2) 慢性関節リウマチによる心膜炎

(ア) 亡安次郎の慢性関節リウマチの既往症についてはその内容についての資料が乏しく、従つて、心疾患との関連も断定はしにくいが、右既往症を有していたとした場合、慢性関節リウマチは心膜炎を惹き起こすことが多く、亡安次郎の血栓形成の原因となつた心房細動は、この心膜炎によるものと考えられる。

(イ) ところで慢性関節リウマチの原因は自己抗体の産出であつて、同症は自己免疫疾患の一種である。そして、粉じんの吸入にはアジユバント効果(抗体産生の異常亢進効果)があることが認められるに至つており、亡安次郎の慢性関節リウマチも粉じんの吸入によるアジユバント効果によつて免疫系統に異常をきたし、本来抗体産生を生じない自己組織に対しても抗体を産生し、自己免疫疾患に陥つたものである。

従つて、亡安次郎のじん肺と慢性関節リウマチはいずれも粉じん吸入の効果と認められるのであつて、関連性があり、慢性関節リウマチはじん肺の続発症とみるべきものである。

(ウ) 被告は心房細動の原因を僧帽弁膜症に求めているが、それは亡安次郎の慢性関節リウマチをリウマチ熱と誤解しているためである。

(3) 血液粘稠度の亢進による血栓形成の助長

以上の心疾患に加えて、以下にみるじん肺による血液粘稠度の亢進により、血栓の形成が助長されたものと考えられる。

すなわち、じん肺等の慢性肺疾患に二次的な多血症がみられることは今日明らかとなつているが、亡安次郎の場合も、多血症の判断基準となる血液中のヘマトクリツト値がかなりの回数の検査において四五ないし四九パーセントと基準値五五パーセントに近く、また、脳血管障害のリスク基準とされる四五パーセント以上に達しており、多血症と判定するまでに至つていないものの、脳栓塞の発生を容易にする素地を与えていた可能性が強い。

(四) じん肺による脳梗塞の予後不良

仮に、亡安次郎の死因が脳梗塞であり、かつ、じん肺が脳梗塞の原因となつていないとしても、じん肺のような慢性肺疾患患者に脳梗塞が発生した場合、以下の理由によりその予後は一般の場合よりも不良であり、その意味で、じん肺が亡安次郎の死亡に影響を与えたものというべきである。

(1) 第一に、慢性肺疾患の低酸素血症は、脳血管障害治療の阻害因子となる。

すなわち、慢性肺疾患患者に脳血管障害が発生すると、既に存在していた低酸素血症の影響で脳障害の治療反応を阻害するとともに、脳血管障害治療の主要な治療法である酸素吸入の効果も阻害され、酸素吸入による炭酸ガスナルコーシスの発症を考慮して酸素投与も制限されることとなるからである。

(2) 第二に、慢性肺疾患では体重減少に示されるように、全身的な体力も弱つており、脳血管障害発生時の抵抗力も減弱している。

亡安次郎の体重の推移については資料が不足しているが、少なくとも昭和五二年一月に五八キログラムあつた体重が、翌五三年二月には五五キログラムに減少している。

(3) 第三に、慢性肺疾患に心筋梗塞が発生した場合致死率が増加するとの報告や、心筋梗塞時の酸素吸入の効果に関する研究から、脳梗塞についても同様の理解ができる。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実のうち亡安次郎が粉じん作業に従事していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

2 同2の事実のうち亡安次郎が昭和四七年九月一日じん肺の健康管理区分四と認定されたこと、同五四年八月一八日に死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3 同3の事実のうち原告が亡安次郎の妻であることは認めるが、その余の事実は知らない。

4 同4の事実は認める。

5 同5の事実のうち亡安次郎の胸部エツクス線写真の像はじん肺の第二型または第三型と診断されていたこと、同人に心房細動がみられたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三 被告の主張

1 亡安次郎のじん肺の程度

(一) 亡安次郎のじん肺の程度については、昭和四七年五月から同五三年二月までの診断書等によれば、エツクス線写真像において第二型または第三型と診断され、一定していないが、いずれにせよその程度は中程度である。

(二) また、じん肺の合併症とされている肺結核については、昭和四七年五月実施の喀痰検査ではコロニーが検出されたものの、その後の検査では発見されず、ほとんど治癒していると考えられる。

(三) 亡安次郎に肺機能上の障害があつたことは事実であるが、生死を左右するほどのものではなく、対症療法で十分治療が可能であつたものである。

しかも、同人の肺機能上の障害の原因はじん肺ではなく、後に述べる僧帽弁疾患による肺うつ血であることも十分考えられる。

2 亡安次郎の死因は肺炎ではない。

(一) 亡安次郎の死亡の前日である昭和五四年八月一七日に撮影された同人の胸部エツクス線写真には、肺うつ血像は認められるものの、肺炎の症状はみられない。

(二) 亡安次郎の主治医である安田善治は、既に昭和五四年七月一一日の胸部エツクス線写真に肺炎が認められるとしているが、当時の血液検査において白血球数は三九〇〇で正常範囲であり、血沈も一時間値三〇ミリメートルであつて、それ以前六か月間の各月測定の血沈の値と大差がなく、この時点での肺炎は認められない。

また、死亡前日の昭和五四年八月一七日においては、白血球数が八四〇〇とやや増大しているが、これはむしろ脳梗塞によつて生じたものと考えられる。

3 亡安次郎の死因は脳梗塞である。

(一) 脳梗塞とは、脳血管がつまつてその灌流領域に虚血が起こり、その部分の脳機能が障害される疾病であり、そのうち、他の部位にできた血栓が流れてきて脳血管につまる脳塞栓の多くは心病変に由来する血栓によるものとされ、その心疾患としては、リウマチ性あるいは動脈硬化性心疾患で心房細動を伴うものが重要な原因と考えられ、特に僧帽弁疾患のうちのリウマチ性弁膜症の左心房に生じた血栓が脳塞栓の源となることが多い。そして、最も脳塞栓の発生率が高いのは、心房細動を伴つた僧帽弁狭窄症であるとされる症状は極めて突然起る卒中発作が特徴とされ数秒ないし一、二分で神経脱落症状が起こるとされている。

脳梗塞の発作による死亡率は、脳出血の死亡率に比べると低いものの、再発時の発作による死亡率は初回の発作時の死亡率に比べると著しく高くなるとされている(九州大学の調査によれば、初回発作による死亡率は四・三パーセントであるのに対し、再発時の死亡率は三二パーセントと高率になつている。)。

(二) ところで、亡安次郎の症状は次のとおりである。

(1) 亡安次郎は、突然意識を失い、急死に近い死亡であつた。

(2) 亡安次郎がリウマチ熱に罹患していることは明らかであり、ここからリウマチ性心臓弁膜症に罹患し、これが脳塞栓の原因になつたものと推測される。

このことは、亡安次郎の胸部エツクス線写真像においては、心陰影が著明に拡大して、いわゆる僧帽型の形状をしていることから認められる。

(3) 亡安次郎の心電図には心房細動が認められ、しかも悪化している。

(4) 亡安次郎は、昭和五〇年一〇月に一度脳梗塞発作を起こしている。

(三) 右の(二)の症状を前記(一)の知見に照らして考えると、亡安次郎の死因は脳梗塞(そのうちの脳塞栓)と考えられる。

4 じん肺と脳梗塞との因果関係

(一) じん肺等の慢性呼吸器疾患と脳梗塞のような脳血管障害については、現在のところ、疫学的、臨床的、病理学的に因果関係はないとされている。

(二) 亡安次郎の脳梗塞は左心系の肥大拡張を原因とするものであつて、じん肺による肺性心のような右心系の障害が原因ではない。

(三) 脳梗塞の原因となつた心疾患としては、亡安次郎がリウマチに罹患していたことからリウマチ性心臓弁膜症が考えられる。

ところで、CAPLANは、リウマチ性関節炎を有する炭坑夫に特有な塊状巣が出現するものがあることに着目し、これをCAPLAN症候群と名付けている。従つて、もし亡安次郎が同症に罹患しているとすれば、じん肺と脳梗塞との関連が問題となりうる。

しかしながら、CAPLAN症候群の場合は胸部に境界鮮明な円形陰影が両肺の全体に比較的均等にみられるが、亡安次郎の胸部エツクス線写真像においてはそのような陰影がみられず、亡安次郎が同症であつたとは認められない。

5 亡安次郎のじん肺は脳梗塞の予後を悪化させたものではない。

亡安次郎のじん肺の程度は、前記のとおりせいぜい中程度であつて、脳梗塞の予後を悪化させる程のものではない。

6 よつて、亡安次郎の死亡が業務に起因することの明らかな疾病によるものではないとして原告に遺族補償年金および葬祭料の支給をしない旨決定した被告の本件処分は適法である。

第三証拠 <略>

理由

一 亡安次郎が粉じん作業に従事していたこと、昭和四七年九月一日じん肺の健康管理区分四と認定されたこと、エツクス線写真の像はじん肺の第二型または第三型と診断されたこと、同人に心房細動がみられたこと、同人が、同五四年八月一八日に死亡したこと、原告が亡安次郎の妻であることおよび請求原因第4項の事実(本件処分および審査請求等)は、いずれも当事者間に争いがない。そして、被告の主張からみて、亡安次郎がじん肺に罹患していたこと自体は、その程度はともかくとして、明らかに争わないものと認められる。

二 そこで、亡安次郎の死亡が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて以下判断する。

ところで、労働者が疾病により死亡した場合において、その疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲については命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表第一の二が定められているので、亡安次郎の死因となつた疾病が右別表に掲げる疾病に該当するか否かについて検討するに、同表第五号は、「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症又はじん肺法(昭和三十五年法律第三十号)に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則(昭和三十五年労働省令第六号)第一条各号に掲げる疾病」について定めているが、原告が本件において亡安次郎の死因として主張しているのは肺炎または脳梗塞であり、右に該らないことが明らかである。従つて、本件においては、右肺炎または脳梗塞が同表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。

そして、亡安次郎が粉じん作業に従事していたことおよび同人がじん肺に罹患していたことは当事者間に争いがないところであり、従つて、特段の反証のない本件においては、同人のじん肺は粉じん作業により生じたものと推認され、同人は右別表第五号に該当するものであるから、結局同人のじん肺ないしその法定合併症と同人の死因として原告の主張する肺炎または脳梗塞との間に因果関係が認められる限り、右死因となつた疾病は右別表第九号の規定する疾病に該当するものと解すべきである。

よつて、以下では、亡安次郎の死因およびその死因となつた疾病とじん肺との因果関係について検討することとするが、その前に亡安次郎の病状の推移および同人のじん肺の程度をみておくこととする。

三 亡安次郎の病状の推移

<証拠略>によれば以下の事実が認められる。

1 亡安次郎は、昭和二六年一一月に住友潜龍鉱業所を退職した後、同四四年四月江迎病院で受診し、慢性気管支炎との診断を受け、以後同病院で治療を受けるようになつたが、同四五年三月の喀痰検査でコロニー一三個が検出され、さらに胸部エツクス線写真において両側下肺野を主に全肺野にわたりじん肺の粒状影をみたため、じん肺結核と診断された。

2 同人は、昭和四七年五月に至り咳嗽、喀痰、呼吸困難が激しくなり、血沈亢進がみられたため、江迎病院に入院したが、その後症状が軽快し、同年一一月一六日に退院し、同五〇年九月まで通院加療を続けた。しかし、同年一〇月脳梗塞発作を起こして再び同病院に入院し、その後十二指腸潰瘍、胆のう症等を併発して入院加療を継続し、右各疾病が完治したため、同五一年五月一四日退院した。その後、同五三年一月に至り心窩部に痛みを訴え、胃潰瘍と診断されて同月二五日から同年三月まで再び同病院に入院した。

3 同人は、昭和五三年四月以降通院加療を続けていたが、この間も呼吸困難、胸痛を訴え、咳嗽、喀痰、心悸亢進がみられ、同五四年八月八日、江迎病院の安田善治医師から、胸部エツクス線写真像が悪化しているから入院するようにと勧められた。しかし、ちようど旧盆直前の時期であつたため、それが過ぎてから入院する心積もりであつたところ、同月一六日午後一〇時ころ就寝した後、翌一七日早朝に至り原告が揺り起こしても返答がなく、意識喪失状態となつていた。

4 同人は、右同日午前五時ころ、意識喪失状態のまま救急車で江迎病院に入院し、直ちに酸素吸入および喀痰摘出のための吸引が施行された。入院当時、顔色不良で全身に発汗がみられ、瞳孔は散大していた。また、入院直後から同日午前七時三〇分ころまで、右手、右下肢を中心にけいれんがみられた。

血圧は入院直後最大血圧一七〇、最小血圧一一〇であり、その後も死亡直前まで、最大血圧が一三〇ないし一七〇、最小血圧が八〇ないし九〇で推移し、脈拍は、入院直後から翌一八日の午前九時ころまでは五〇ないし九〇程度であつた。

しかし、体温は、右一七日午前七時三〇分の測定で三八・五度を記録して以来、一ないし三時間ごとの測定で、同日中、三八、三九度台の高熱を記録した(但し、同日午後三時の測定のみ三七・五度である。)。さらに翌一八日には、午前六時に四〇・二度を記録して以来死亡に至るまで、四〇度ないし四二度の高熱が続いた。

この間、抗生物質等が投与されたが解熱せず、意識も回復しないまま、右一八日午後一時四五分死亡した。

四 亡安次郎のじん肺の程度

<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

1 じん肺の程度は、粉じん作業職歴、胸部エツクス線写真像、肺機能検査、胸部に関する臨床検査等を総合して判断されるが、以下のとおりである。

2 亡安次郎の粉じん作業職歴

亡安次郎は、大正四年一〇月一五日に出生し、昭和七年から同一〇年まで麻生鉱業所で、同一一年から同一二年まで三菱炭坑で、それぞれ採炭夫として働いた後、同一六年五月から同二六年一一月まで住友潜龍鉱業所で支柱夫として働き、粉じん作業職歴は通算一五年七月である。

3 胸部エツクス線写真像

(一) じん肺とは、粉じんの吸入によつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいい、その線維化した部分は一・〇ないし一・五ミリメートルの大きさの小結節を形成し、エツクス線写真上粒状影または線状、細網状、網目状等の不整形陰影として現われる。そして、吸入粉じん量が増加すると、肺胞に粉じんが充満して塊状巣を形成し、これがエツクス線写真上大陰影として現われる。

従つて、じん肺法では大陰影の有無、粒状影または不整形陰影の数によつてじん肺を第一型から第四型までの四段階に区分し、大陰影があると認められるものを第四型とし、それ以外のものは、両肺野における粒状影または不整形陰影の数によつて、その数が少数のものを第一型、多数のものを第二型、極めて多数のものを第三型としている(もつとも、以上の区分は昭和五二年七月一日の改正じん肺法(同五三年三月三一日施行)に基づくものであり、右改正前においては、じん肺を粒状影を主とするものと異常線状影を主とするものに大別したうえで、それぞれを第一型ないし第四型に区分し、粒状影を主とするものについては、粒状影の分布する範囲および密度で第一型ないし第三型を区分していた。)。

(二) そこで、以下亡安次郎の胸部エツクス線写真像について検討する。

(1) 亡安次郎が昭和四七年五月長崎労働基準局長宛に提出したじん肺健康診断等の結果証明書、同五一年から五四年にかけて労働者災害補償保険給付の受給の継続のために毎年作成された診断書(以下「労災保険診断書等」という。)によれば、同人の胸部エツクス線写真像は、昭和四七年五月一五日、同五二年一月一一日、同五三年一月一一日、同五四年一月一〇日(改正前の基準によつている。)の各撮影分については粒状影第三型、同五一年一月一二日撮影分については粒状影第二型とそれぞれ診断されている。

(2) 長崎大学附属病院の医師木谷崇和は、昭和五五年一一月二一日、長崎労働者災害補償保険審査官に対する意見書で(以下「木谷意見書」という。)、亡安次郎の同五四年七月一一日撮影の胸部エツクス線写真について、第二型に相当するものと診断している。

証人石川寿は、亡安次郎の同四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真について、改正後の基準で第二型とし、同じく同五三年一一月一一日撮影の分についても、じん肺として特に進展はないと証言している。

また、証人種本基一郎は、亡安次郎の同四七年五月一五日撮影の胸部エツクス線写真について、同じく改正後の基準で第一型か非常に甘くみて第二型であると証言している。

(三) 以上によれば、亡安次郎の胸部エツクス線写真像は、昭和四七年から死亡直前までを通じてじん肺法改正後の区分で第二型に該当するものと認めるのが相当である。

4 肺機能検査の結果

(一) 肺機能の検査は、肺活量の測定を基礎として行われるのが一般である(なお、肺活量測定については、肺活量、努力性肺活量、一秒量、パーセント肺活量、一秒率等の概念があるが、このうち肺活量とは各種肺活量のうち最大値を示したもの、努力性肺活量とは最大努力下に急速に呼出させたガス量、一秒量とは呼出開始から一秒間の呼出ガス量、パーセント肺活量とは肺活量と身長および年齢から算出された肺活量基準値との比、一秒率とは一秒量と努力性肺活量の比をそれぞれいう。)

なお、じん肺法の改正後は、フロー・ボリユーム曲線の検査により、V25(努力性肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度)を求める方法、動脈血酸素分圧および動脈血炭酸ガス分圧を測定し、これらの結果から肺胞気・動脈血酸素分圧較差を求める方法も採用されている。

(二) そして、改正後の基準によると、パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、または、一秒率が年齢六一歳で四七・四七パーセント、年齢六二歳で四七・〇九パーセント、年齢六三歳で四六・七二パーセント未満の場合にそれぞれ「著しい肺機能障害がある」ものと判定される(なお、改正前においては、パーセント肺活量が八〇パーセント以上で、かつ、一秒率が七〇パーセント以上のものを「換気機能正常」と取り扱つていた。)。

また、V25を身長で除した値(以下「V25/身長」という。)が年齢六三歳で〇・五一未満の場合「肺機能が相当低下している」と判定される。

さらに、肺胞気・動脈血酸素分圧較差については、年齢六三歳で三七・〇三TORRを超える場合「著しい肺機能障害がある」と判定される。

(三) そこで、亡安次郎についてこれらをみるに、各年度の数値は以下のとおりである。

(ア) 昭和五二年一月(年齢六一歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)四〇パーセント

一秒率             七五パーセント

(イ) 同五二年一〇月二一日(年齢六二歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)五〇パーセント

一秒率             三七パーセント

(ウ) 同五四年一月一六日(年齢六三歳)

二段肺活量比(パーセント肺活量)五七・七パーセント

一秒率             六二・六パーセント

V25/身長           〇・二五

肺胞気・動脈血酸素分圧較差   三三・六二TORR

(四) 以上によれば、亡安次郎の肺機能障害の程度はかなり進んでいることが窺われるが、一秒率の数値にはかなり極端な変動があり、またパーセント肺活量の数値は徐々に改善されているなど、この検査の数値が被検者の対応等によつて影響を受けることを示唆しているものとも考えられる。

5 胸部臨床所見

亡安次郎の呼吸困難の程度は、前記労災保険診断書等によれば、ヒユー=ジヨーンズの分類で、昭和四七年第II度(同年齢の健康者と同様に歩くことに支障はないが、坂や階段は同様に昇れない者)、同五一年、五三年が第III度(平地でも健康者なみに歩くことができないが、自己のペースでなら一キロメートル以上歩ける者)、同五二年、五四年が第IV度(五〇メートル歩くのに一休みしなければ歩けない者)とされており、次第に悪化していることが認められる。

また、咳や痰、心悸亢進の症状は継続的に認められる。

6 なお、亡安次郎は、昭和四七年五月の喀痰培養検査の結果、コロニー一三個の検出をみたことは前認定のとおりであり、その結果、活動性の結核であると診断されているが、その後の検査においては結核菌は検出されておらず、また、胸部エツクス線写真上も明確な肺結核像は認められず、同人の肺結核は、仮に治癒していないとしても、かなり軽度のものと認められる。

また、前記のとおり、亡安次郎が昭和四七年九月一日、じん肺の健康管理区分四の認定を受けたことは当事者間に争いのないところであるが、じん肺法改正前の当時の区分では、管理区分四の認定を受けるのは、胸部エツクス線写真の像が第四型以外の場合(右4で認定した事実によれば、亡安次郎は、第四型以外と認められる。)にあつては、高度の心肺機能の障害その他の症状があると認められるか活動性の肺結核があると認められることが必要である。ところで、亡安次郎が右いずれの場合として管理区分四の認定を受けたものであるかは証拠上明らかではないが、右のとおり、管理区分認定の直前に活動性の肺結核があると診断されているところから、そのことを理由とされた可能性も否定できないところである。

そして、亡安次郎がじん肺の終末的症状といわれる肺性心にまで達していることを認めるに足りる証拠はない。

7 以上の事実を総合すると、亡安次郎のじん肺の程度については、胸部エツクス線写真像と肺機能検査、臨床症状との間に重症度の違いがみられ、一概には決し難いのであるが、大まかにいえば中等程度と認めるのが相当である。

原告は亡安次郎のような炭坑夫じん肺においては、典型けい肺に比べて肺の線維化の程度は弱く、その重症度の判断にあたつては、胸部エツクス線写真像のみでなく、それに現われない気管支変化、気腫性変化に注目すべきである旨主張するところ、<証拠略>によれば、右主張自体は正当なものを含んでおり、じん肺法にもその趣旨が反映されているものというべきであるが、亡安次郎について死体解剖はされておらず、右各変化を直接知る資料はないのであるから、結局のところ右1ないし6で認定した各事実を総合して判断するほかなく、これによれば右7の結論に至るものというべきである。

五 亡安次郎の死因

原告は、亡安次郎が肺炎により死亡したものと主張するので、この点について判断する。

1 <証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

(一) 亡安次郎は、前認定のとおり、昭和五四年八月一七日早朝意識を失つたまま江迎病院に入院したが、午前七時四〇分に三八・五度の高熱を記録して以後、同日は、午後三時に三七・五度に下がつた以外は、終日三八度ないし三九度台の高熱が続き、翌一八日は、午後一時四五分に死亡するまで、四〇度ないし四二度の発熱が続いた。

(二) 右八月一七日に実施された亡安次郎の血液検査の結果によれば、白血球分類においてStの値が〇パーセント(正常値は三ないし六パーセント)、Segの値が八二パーセント(正常値は四五ないし五五パーセント)といずれも異常な値を示しており、これは炎症の存在を窺わせるものである。

(三) 右同日の亡安次郎の血沈検査の結果によれば、一時間値が二五、二時間値が六〇であつて、正常値に比して亢進している。

(四) 亡安次郎の治療にあたつた江迎病院の医師安田善治は、昭和五四年九月江迎労働基準監督署長宛に提出した意見書(以下「安田意見書」という。)において、脳梗塞の併発を認めながらも、直接死因は急性肺炎であると述べ、その理由として右八月一七日に撮影された胸部エツクス線写真に肺炎像を認め、さらに、同年七月一一日撮影の同写真において既に肺炎とも思える不整陰影が軽度ではあるが認められることを挙げている。

以上の事実は肺炎による死亡を疑わせるものということができる。しかしながら、他方、次の諸事実も認められる。

(五) 肺炎であるか否かの診断においては、白血球数の増加の有無がかなり重要な要素をなすが、亡安次郎の前記八月一七日の血液検査の結果によれば、白血球数は八四〇〇であつて、正常範囲の四〇〇〇ないし八〇〇〇と比較してもさほど増加していない。原告は、右結果は抗生物質の投与により、白血球数の増加が抑えられたためであると主張し、実際、同日には抗生物質であるリラシリンとセフアメジンが各二グラムずつ投与されているのであるが、右血液検査のための血液の採取時期と右抗生物質の投与の時期との先後も明らかでないから、抗生物質の投与により白血球数の増加が抑えられたものと断ずることはできない。

(六) 亡安次郎の昭和五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真について、木谷意見書、長崎労働基準局医員石川寿作成の同年一一月二八日付意見書、証人石川寿、同種本基一郎は、いずれも肺炎像はみられず、むしろ肺うつ血像がみられると述べている。また、木谷意見書は、同年七月一一日の胸部エツクス線写真について、はつきりした肺炎と思われる陰影の出現は認め難いとしている。

(七) 高熱は、肺炎の場合に限らず、脳血管障害により温熱中枢のバランスが崩れて生じる場合や、一般的に炎症によつて生じる場合があり、脳血管障害に付随した感染症によつて高熱を発することもある。

(八) 前記安田意見書においても、死因を急性肺炎と断定しているものではなく、「症例は昏睡に陥入り脳幹障害の症状も認む。翌日死亡に至るもので、脳の主幹動脈の閉塞を否定することは出来ないと思う。又既応歴に脳梗塞発作(S五〇年)を認めており、この点のみから判断すれば相当重篤であつたと言わざるを得ない。」、「脳梗塞を発生した症例にて肺炎併発は脳梗塞が故の二次的発生が充分にかんがえられる。」などと記述している部分がある。

(九) 亡安次郎の労災診療録によれば、昭和五〇年一〇月分に、同月四日ないし五日に言語障害がある旨の記載、同五一年四月分に、五〇年一〇月二日脳軟化症発作の記載があり、右安田意見書の記載をも併せ考えると、亡安次郎は、同五〇年一〇月に脳梗塞発作を起こしたものと認められる。

そして、死亡前日の同五四年八月一七日にも、意識喪失、左片麻痺など脳障害を疑わせる症状を示している。

(一〇) 加えて、亡安次郎には、遅くとも昭和五一年ころから死亡に至るまで心房細動が認められる(同人に心房細動がみられることは当事者間に争いがない。)。

そして、心房細動の場合、心房内に血液が淀んで血栓が形成され、これが脳血管まで運ばれて脳梗塞を発生させることが多い(脳梗塞は脳の虚血性病変であつて、その中には脳動脈の硬化によりその狭窄または閉塞を招く脳血栓と心病変等により他所に形成された血栓が脳血管に運ばれこれを閉塞する脳塞栓とがあるが、亡安次郎の場合、動脈硬化の原因となる高血圧症、高脂血症や糖尿病は認められず、脳血栓の可能性は低い。)。

2 以上の事実が認められ、これらを総合すれば、前記(一)ないし(四)の事実があるからといつて亡安次郎の死因を肺炎と認めるのは相当でなく、かえつて、同人の死因は脳梗塞(そのうちの脳塞栓)と認めるのが相当である。

六 じん肺と脳梗塞との因果関係

原告は、仮に亡安次郎の死因が脳梗塞であるとしても、じん肺により虚血性心疾患または慢性関節リウマチに基づく心膜炎が惹き起こされ、これによる心房細動によつて、心臓に血栓が形成され、脳梗塞が発生したものである旨主張するので、以下この点について判断する。

1 虚血性心疾患について

(一) 原告は、亡安次郎には肺性心の疑いがあり、これが心筋梗塞または狭心症という虚血性心疾患を惹き起こし左心室肥大を招いた旨主張するのであるが、亡安次郎に肺性心を認めるに足るだけの証拠がないことは前記のとおりである。また、<証拠略>によれば、肺性心は肺動脈末梢の抵抗増加により右室の負担過重、肥大拡張を招くものであつて、よほど重症のものでない限りそれが左心にまで及ぶことは考えられないところであるが、亡安次郎のじん肺の程度が重症とまではいえないこと前記のとおりとすると、この点からも原告の主張は理由がないものといわねばならない。そして、原告がその主張の根拠とする「じん肺罹患者の合併症(第四報)」(<証拠略>)においても、「肺性心の左室肥大は一般に軽度であり、それ自体が心筋梗塞の発症要因となることは稀であろう」と述べているところである。

(二) また、原告は、慢性肺疾患による冠状動脈硬化、血液ガスの異常とそれに基づく冠血流量の変化、二次性多血症がいずれも虚血性心疾患のリスクフアクターである旨主張するが、亡安次郎にこれらの症状がみられたことについての具体的な証拠はなく、右一般論を直ちに本件に適用することもできないから、この点の原告の主張も理由がない。

(三) なお、原告は、慢性肺疾患による血液粘稠度の亢進が血栓の形成を助長するとし、亡安次郎の場合もヘマトクリツト値が脳血管障害のリスク基準とされる四五パーセント以上に達していた旨主張するのであるが、右基準によつても亡安次郎のヘマトクリツト値はその前後であり(特に、<証拠略>によれば、亡安次郎の死亡直前の昭和五四年七月においては四三パーセント、同年八月においては四四パーセントといずれも正常値である。)、そこから血栓形成の助長までを推認することはできないものといわねばならない。

2 慢性関節リウマチに基づく心膜炎について

(一) 亡安次郎のリウマチ性疾患についての資料はさほど多くはないが、<証拠略>によれば以下の事実が認められる。

(1) 亡安次郎の看護記録の中には、「昭和三一年に関節が痛くなり、徳田病院にて受診す。その結果関節炎リウマチと診断され、その後二―三日に一回注射及び薬にて、治療通院す。」(昭和五〇年六月ころ作成)、「S三九年よりS五〇年四月までリウマチじんばいにて入院し」(昭和五一年五月作成)との各記載があり、また、前記安田医師作成の昭和五二年一月付労働者災害補償保険診断書添付資料には、「多発性関節リウマチに依る体幹の機能障害にて一級取得」との記載がある。

また、亡安次郎の妻である原告も、長崎労働者災害補償保険審査官の聴取に対して、亡安次郎は四一歳のとき関節リウマチにかかり一二ないし一三年ほど治療していた旨のべている。

(2) ところで、リウマチ性疾患とは、運動器の疼痛性疾患であると定義され、多種多様の疾患を含むが、そのうち代表的なものはリウマチ熱と慢性関節リウマチであり、これらはいずれも多関節炎の症状を伴う。両者の区別は、リウマチ熱は急性の疾患であり、若年者(一五歳以下)に多く、発熱・発汗の全身症状があり、急性、移動性、一過性の多関節炎を伴うのに対し、慢性関節リウマチは進行性、慢性で、後に変形、機能障害を残し、症状がおさまつてもあくまで緩解であつて、治癒とは認められないことが特色である。

また、慢性関節リウマチ患者の血清中には、変性IgGに対する抗体であるリウマチ因子(RF)がみられ、RAテスト(latex粒子に変性ヒトIgGを結合させた試薬を使用し、スライドグラス上で被検血清と混ぜその凝集をみる方法)において他のリウマチ性疾患より高率の陽性率を示す(例えば、慢性関節リウマチの陽性率が八〇パーセントであるのに対し、リウマチ熱の陽性率は二〇パーセント以下である。)ところ、亡安次郎の昭和四九年一二月のRAテストの結果は陽性を示している(なお、同人についてのRAテストの実施は証拠上この一回だけである。)。

右各事実によれば、亡安次郎は慢性関節リウマチに罹患していたものと認めるのが相当である。

(二) ところで、原告は、亡安次郎が慢性関節リウマチにより心膜炎を起こし、これが心房細動の原因となつた旨主張するので、この点について検討するに、<証拠略>によれば以下の事実が認められる。

(1) 慢性関節リウマチの心病変中もつとも頻度が高いのは心膜炎であるとされるが、亡安次郎が実際に心膜炎を起こしていたことを示す所見はない。

(2) 他方、亡安次郎の昭和四七年一二月六日撮影の胸部エツクス線写真においては既に心陰影の拡大がみられるが、同人の死亡前日の同五四年八月一七日撮影の同写真においては心陰影は著明に拡大し、心胸比は五九・四パーセントに達している(心胸比とは胸郭の横幅に対する心臓の横幅の比率をいい、正常では四五ないし五〇パーセント程度である。)、その拡大の形態は、左第一弓から同第四弓へと直線状に拡大し、さらに右第二弓も拡大していわゆる僧帽型の形状を示している。そして、このような拡大の形態となる原因としては、左心房と左心室との間にある僧帽弁の障害、すなわち僧帽弁膜症の場合が一番多い。また、僧帽弁膜症の場合、左心房さらに肺血管への負荷増大により肺うつ血が起こることがあるが、亡安次郎の前記昭和五四年八月一七日撮影の胸部エツクス線写真においては前認定のとおり肺うつ血像がみられる。

(3) そして、心房細動の原因疾患としては、僧帽弁膜症がもつとも重視されており、心膜炎自体は心房細動の原因とされてはいない。

(4) 以上によれば、亡安次郎の心房細動の原因は心膜炎ではなく、かえつて僧帽弁膜症と認めるのが相当である。

(5) ところで、慢性関節リウマチと僧帽弁膜症との関係については、これをあまり積極的に認めない見解(<証拠略>)と僧帽弁膜症をリウマチ性心内膜炎ないし関節リウマチに基づく急性心内膜炎の続発症として慢性関節リウマチとの因果関係を認めるかのごとき見解(<証拠略>)とがあり、必ずしも明らかではなく、また、リウマチと僧帽弁膜症との因果関係を肯定する<証拠略>も、そこにいうリウマチが慢性関節リウマチを指すものか否か明らかでなく、結局、亡安次郎の僧帽弁膜症が同人の慢性関節リウマチに起因するものであるか否かは明らかではないものといわねばならない。

3 慢性関節リウマチとじん肺との因果関係

なお、原告は、慢性関節リウマチをじん肺の続発症である旨主張するので、仮に慢性関節リウマチと心房細動の原因となつた僧帽弁膜症との間に因果関係があるものとしてこの点について検討しておくこととする。

<証拠略>によれば以下の事実が認められる。

(一) 慢性関節リウマチの原因については、同症の患者に変性IgGに対する抗体であるリウマチ因子(RF)が発見されており、自己免疫疾患的色彩の濃いことはほぼ定説となつている。

(二) 他方、粉じんにアジユバント効果(各種の抗原に対して抗体産生を高める作用)を認め、じん肺や慢性関節リウマチ等を右効果に基づく自己免疫疾患(本来免疫寛容であるはずの自己に対して抗体を産生する疾患)として粉じん暴露に基づく並列的な疾患として捉える研究が進んでいる。従つて、この見解によれば、慢性関節リウマチをじん肺の続発症とみることはできないとしても、粉じん作業との因果関係が認められることとなる。

しかしながら、右見解は研究途上にあつて、右見解の主唱者自身も、自己免疫疾患の発症要因として粉じんのアジユバント効果のほかにT細胞、B細胞の機能異常の可能性を考える必要のあることを指摘しており、現段階では未だ大方の支持を得るまでに至つていない。

(三) なお、カプランは、リウマチ性関節炎を有する炭坑夫に特有な塊状巣、すなわち、境界鮮明な円形陰影で、両肺野全体に比較的均等に分布するものがあることに注目し、これをカプラン症候群と名付けたが、亡安次郎の胸部エツクス線写真には右のような特徴は認められず、同人がカプラン症候群に罹患していたことを認めるに足る証拠はない。

(四) 以上によれば、亡安次郎の慢性関節リウマチをじん肺の続発症と認めることができないのはもちろんのこと、未だ同人の粉じん作業に基づくものと認めることもできないものといわねばならない。

七 じん肺による脳梗塞の予後不良について

まず、原告は、じん肺による低酸素血症により、亡安次郎の脳梗塞の予後が不良であつた旨主張する。確かに、<証拠略>によれば、一般にじん肺の患者には低酸素血症が伴うことが認められる。しかしながら、亡安次郎の低酸素血症がどの程度であつたかについてはこれを明らかにする証拠はなく、従つて、それが脳梗塞の治療を阻害したものであるかは明らかでない。また、低酸素血症を考慮して酸素投与が制限されることを認めるに足りる証拠もない。

次に、原告は、じん肺による全身的な体力の低下が脳血管障害に対する抵抗力を減弱させた旨主張するが、これも一般論にすぎず、原告の主張する体重減少だけでは、亡安次郎の死因となつた脳梗塞の予後に影響を与えたことを認めるに足りないものといわねばならない。

そして、心筋梗塞の予後に慢性肺疾患が与える悪影響を脳梗塞の場合にも同様に妥当するとして、亡安次郎の慢性肺疾患としてのじん肺が、その死因となつた脳梗塞の予後を不良ならしめてその死亡の致死率を高めるとする原告の主張もこれを認めるに足りる証拠がない。

八 以上のとおりであつて、亡安次郎の死因は脳梗塞であり、これとじん肺との間に相当因果関係を認めることはできない(原告は、じん肺と死亡との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、この見解は採用しない。)。従つて、亡安次郎の死因は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾患」に該当しないから、亡安次郎の死亡は業務に起因するものではないとして原告の労災保険給付の申請を却下した被告の本件処分は適法であり、その他これを取り消さなければならない違法は認められない。

九 よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松島茂敏 池谷泉 大須賀滋)

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